どうも、生まれは昭和です。

犬神寧子のはんなり生活

ノータイトル

訛ってます

今は大阪のことばです

もとから妙ちくりんな日本語を話していました

アクセントとかもかなり妙ちくりんでした

外ではちゃんとした標準語話せる友達と会うと自分がいかに訛ってるか痛感していました

「わし訛っとるな」

自分のことをわしと言うてしまって

けど聞く人が聞くとぶたれたり怒られたり怒鳴られたり

「おまえの訛りは聞いてると感にさわる、イライラするからやめろ。」

よういわれました

私は私の内側から出てくる言葉で話したいだけなのに……

W(ハーフ)の方々がアイデンティティーで悩むような感覚でした

それを実感したのはつい最近で

私が自由な話し言葉で話しても怒鳴られないようになってからのことでした

そのように自分の感情ににぶちんなので

というか存在していることにも自覚症状がないので

いまもそういうのがまだあるのかもしれません






心から死んでほしい、記憶から抹殺したい、今すぐ死んでほしい一族のことなど

消ゴムで脳から消したい

消えてほしいと願うたびにつよう意識して辛い時間過ごしてます








私は自分が子供の頃に獣になったことがおます

頭の中は真っ白で目の前の相手へのなんやら人間の言葉でいうと「憎しみ」「怒り」なんやろうけど

ほんまはちごうてて

言葉にならない

あれは「感情」でもない

「殺意」がもっともふさわしいとおもいます

そんなんで「殺意」がMAXになり

相手を傷つけて相手が動かなくなったときに

ハッ!と我にかえったのです

だから、そんなん記憶が生々しく自分に残っとるから

私はヒトでありそれはヒトとはいうけど動物であり獣であるとおもっとります

あの生々しい感覚は忘れたらあかんと思ってます

忘れられんけどあれはわしの本性であるといまでもおもっちょります





わたしは、来週からもう一個病院に通うことになるとおもいます

最初は検査とかだろうけど





涙枯れるまでないたほうがいい

わしは毎日泣いとる

それでも涙は枯れてくれへん




わしは次シーラカンスになるんだけど

もう人間はいややな

絶対なりとうない

こどものころに見たバベルの塔を壊される絵が頭にやたら浮かぶ





わしの頭と体と心はもう

疲弊しきってる



飯もぎょうさんたぺられんと

たぺる気持ちもあらへんし








ただただ

疲れました。