どうも、生まれは昭和です。

犬神寧子のはんなり生活

いかりのミルフィーユ

それは薄い層となって私の心のなかに蓄積されている

 

いろいろなことに対するいかりの感情が泥々とベタベタと溜まり層となっていく

 

他人は他人 自分は自分と割りきれず

 

自分の未熟さと不寛容さに腹が立ち

 

まさにループ状になって出口がない

 

けれどその苦しみこそが生きていると実感できる手段であり

 

自傷行為の延長線に位置している

 

私は自分が楽になれる道があるのに

 

それを頑なに拒む

 

苦しめもっと苦しめ

 

それで生きている実感を得る

 

そんな歪んだ人間だ

 

どこかで自分のつらさを弄んでいるのかもしれない

 

幸せが怖いのだ

 

幸せはまるでシャボン玉のようで

 

儚くあれよというまに消えてしまう

 

それよりも苦しみに苦しんでいるほうに逃げているのだ

 

本当に歪んでいる

 

ひねくれてはいない

 

ゆがんだ人間だ

 

三島由紀夫によろめきそうになるがそれだけはしない

 

あちらに行ったら帰ってこれないと本能的に感じるから

 

小学生のときに芥川が「ぼんやりした不安」から自殺したとの記述をみたときと同じ反応だ

 

その後芥川は読んでしまったし、太宰も少しだけ読んでしまった

 

だが三島由紀夫だけはダメだ

 

あいつはヤバい

 

けれど宵闇からおいでおいでと甘美なまでの世界がありそうで誘われている自分

 

どうにかなりそうだ

 

このところ凄まじく一人思い悩みどうしたらいいのかのたのたと這いずり回っていたので疲れきっている

 

私は疲れきっている

 

けれど追い討ちをかけるように私の思考は止まらない

 

このように意識があるときは常に思考することによって

 

自分を自分で傷つけて自分の体を自分から守っている

 

発狂しそうだ

 

 

 

 

 

 

 

 

ここはひとつ素直になろう

 

すごく疲れてる

 

誰かおたまでひょいと掬い上げてくれ