悲しげな調律師さん
子供の頃我が三兄弟はピアノを習っていた
二人の兄は個人レッスンだったのだが
なぜかわたしはヤマハのエレクトーン(集団)に入れられた
物心ついたときにはもう習っていて
そしてお稽古が嫌いで仕方ないほどになっていた
音大生のバイトか音大卒だけどものにならず子供に教えていたのか
とにかく、わかい姉ちゃんだった
その姉ちゃんがまたキレキャラで私は怖かった
我が家にあるのはピアノで習っているのはエレクトーンで
違うものじゃねえか!と思っていた
ピアノの鍵盤はやはり重たいしエレクトーンは二段だったから何がなんだかよくわからなかった
そんなんで練習しないから怒られる怒られる
どうやら手も叩かれていたらしく(母の証言)
それでもう練習しない→できない→みんなできてる→あんただけできない→みんなの前でキレられる→お稽古嫌い→帰宅してもピアノ触りたくない→はじめに戻る
というピアノ嫌いの永遠のループにはまりおそろしく上達しなかった
そもそもまともに教えることのできた先生が私がやっとピアノから解放された中1のときの最後の先生だけだった
2番目の兄ちゃんは音大を目指さないか?と誘われたが本人があっさり断って終了し
私は練習しないからピアノは放置されていた
さて、調律師さん登場である
二年くらいか?
そんなもんに一回調律に来るのよ
練習しないからおとが狂いまくってて
毎回毎回「もっとピアノを弾いてあげてください」と言われてた
なので調律師さんが来る日はなんか憂鬱だった
私は楽譜を見ながら弾くということができなかった
楽譜を読んでちょっと弾いて耳と指の動かしかたの感覚とで覚えていたのだ
なので赤いバイエルはいつまでやったか?
すげえながかったぞ
そのあとツェルニー?とかそんなようなのやったかなぁ
あっブルグミュラーかな?
なんかそんなんちょろっとして(何年もかけてね)やっと辞められた
そのピアノの製造会社はもうないんだけどなんとかという人の弟子が作ったものでうんたらかんたらなんだけど今猫の寝場所として都内に放置されている
うちが狭かったのでグランドは置けなかったから助かったけど
お坊っちゃまなおにいちゃは最初にピアノ屋さんで「欲しいピアノのとこに行って」と言われてグランドのとこいって
それはなし、つうことでボックスがたの一般的なのになったのよ
飴色のきれいなピアノでねー
見てる分にはすきだった
ヤマハの黒のピアノはゴキブリのようにみてたし
弾かないけどこのピアノが一番きれい☆と子供心に美術品感覚で愛していた
音楽つながりでさ
今日一人カラオケ3時間半してきたんだけどさ
音大生の声楽やってる人が発生の練習してててさ
半端ねえ声量だからすごかった
あーーーーーーーーーーーーーーーーーって
一瞬たじろいじゃったよ
すぐに頑張れよ!と心のなかでウインクして私は自分の時間を楽しんだ
履歴を見たら大阪の曲ばっかだった
大阪の人はやはり大阪の唄が響くんだろうな
あとヨドバシに行けない迷子外国人三人をエスコートして連れていって
ほんとになんでこんなんで東京オリンピックとかのときには日本人より多いぜ!観光客が!
だなと
イタリアのヴェネチアとかどこもかしこも観光客だらけで暮らしにくいらしいよ
あとスタバでアイスコーヒー氷なしを(とーる)ミルクいれてほぼイッキ飲みしたら下痢した
やはり氷なしではなく温かくしないとだめ