どうも、生まれは昭和です。

犬神寧子のはんなり生活

こんな朝にしみじみと

今日から新しい職場で一ヶ月はコンビニとのバイトのかけもちである

 

こんな朝にしみじみと感じることがある

 

それは自分の人生とは、そもそも生とは与えられたものであるという感覚

 

いつ終えるともわからず

 

けど日常に紛れて忘れちゃうけど

 

節目節目には痛感する

 

自分で生きているようで、生かされている

 

よくも悪くもなく淡々と生かされている

 

子供の頃に自殺するなんて弱いやつだ的な言葉を聞いて

 

自殺とはだれかにころされたんだよ、と直感的に思ってしまった

 

自分の生を自分で殺したともいえるが

 

そこまで追い込まれるような状況に殺されたともいえる

 

人間はそんなに強くない

 

図太いとこはあるけど

 

なのにこの強さを持ち続けるとか

 

弱さを許さない雰囲気

 

そうして何人が殺されたのだろう?

 

その命の誕生までに地球に生命が誕生してから一代も欠けることなく存在したのに

 

きのうの夜に疲れながらも若者の貧困の記事を読んだ

 

東洋経済オンラインの記事

 

まるで自分のことを書いてあるようであった

 

炊き出しのボランティアをしたときに一人の老人の話を炊き出しそっちのけで聞いていた

 

こんなはずしゃなかった

 

自分は一生懸命働いてきたのに、こんなはずしゃなかった

 

私は彼の話に寄り添いうなずいて特にコメントとかしなかった

 

それ以来彼とは会わず私も炊き出しにはあまり参加しなくなっていった

 

自分が貧困とともに生き、親から搾取され、一人暮らしするチャンスがきたのが40前だがやはり私が一人暮らしをすれば父の問題もあり「はい、します」と言えるような簡単さじゃない

 

実家に暮らしていれば、他人によっては未成熟な人間とレッテルを貼られる

 

そうではない

 

そのような短絡的な思考が生きにくさを生み出している

 

私の主治医も「こんだけ募集、という文字が世の中に溢れていて仕事がないという人がいる」と発言した

 

私は諭すように反論した

 

きっと主治医はそのような仕事に就いたことがないからあっさり言うのだろうと

 

 

急募とか募集とあるところは、だいたい賃金にみあわない仕事であると

 

それに見あった対価をもらえれば多分人は辞めない

 

そしてサービス業などはとにかく仕事がたくさんある

 

なのに一時間を千円いくかいかないかの時給で切り売りして、からだも心も疲れはてる

 

保障はない、風邪をひとつひくだけで生活が危うくなる

 

保険も国保なら全部自分もちだ

 

年金も厚生年金などにはいれることなどない

 

そんな風に社会の構造に搾取されて、されつくし

 

それでも働かないと生きていけないからブラックとわかっていても選ぶしかないのである

 

日本礼賛番組が嫌いな私はここらへんにいる

 

使い物にならなくなれば使い捨てられる

 

風邪をひいてもゆっくり休めない

 

ゆっくりじっくり会社(ばいと)を選べない

 

親の年収と大学進学率

 

大学がすべてではないし貧困からくるバイタリティーもある

 

けど上履きが欲しかったから売春したとかそんなのは社会としてあってはならない

 

社会保障がしっかりしていればいろんな支出が減るはずだ

 

アメリカは学費タダになるけど軍に所属?ちょっとわからないけどそういうのあるよね

 

そういうことを決めるのはたいがい学費の心配などしたことのない人なのではないだろうか

 

たくさんの人が生きていてたくさんの考えがあるからそれでいいのだ

 

けれどチャンスは平等であってほしいのだ

 

国会答弁などみていると、この人たちはなんのためにここにいるの?とよく思う

 

寝るなら家に帰れと

 

眠くなるのは人間だからね、生理現象だけどさ

 

そこで寝たらあかんよね

 

今の若い人が安心を土台に生きられる世の中を作らなくては

 

こぼれ落ちてもちゃんとセーフティネットでキャットしてもらえる

 

ネットだから穴があってこぼれ落ちちゃあかん

 

失敗してもやり直せる

 

やり直せるから失敗できる

 

失敗してもいいよ、というのはすごくよいと私は思うのだ

 

失敗から学びなさいと声高にいいたい

 

そろそろ用意するから

 

初出勤!